色々・・・

身近なものに愛着を♡

シンプルな言葉がこころを打つ

読売新聞の日曜版

鮮やかなブルーに目を奪われた。

濃淡や水面のさざなみ、細部まで綺麗だ。

新聞紙の品質もさることながら、印刷技術の進歩にも目を見張る。

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今週の『名言巡礼』は相田みつを氏の

「しあわせはいつも じぶんのこころがきめる」

記事より引用

人生で後悔することは何ひとつない。そう思って歩んできたが、ふとした拍子に世間の目が気になることがある。そんな時、人間の心や命を問い続けた相田みつを(1924~91年)のこの言葉と書が、記者の心に優しくも力強く語りかけてくる。「父にしか書けなかった最も激しく美しい言葉。みつをの一生が凝縮されていると思います」相田の長男で相田みつを美術館館長の相田一人さん(59)は、そう話す。

 相田は旧制栃木県立足立中学校を卒業後から短歌と仏法を学び、19歳で書家を志して岩沢渓石の弟子になり、書の修業を積んだ。関東短期大学夜間部国文科を卒業した翌年、30歳で毎日書道展に初入選し、技巧派の書家として頭角を現した。

 しかし、時を同じくして、「技術だけでは、人を感心させられても、感動させることはできない」という信念のもと、自らの平易な言葉を独特の書体で書く作風に入っていく。相田は晩年、自身の作品集で「私は書という形式を借りて、人間としての本来的なありよう、本当の生き方を語っているだけ」と述べている。

 創作への執念は凄まじかった。結婚後10年余り足立市内に間借りしていた自宅では、家族4人は8畳一間暮らしのつましい生活の一方、自分は最高級の道具を用い、30畳のアトリエで筆を執らない日はなく、反故の山は天井に迫るほどだったという。

 相田の従来にない作風は書、詩ともに長らく評価されることはなく、ろうけつ染めや包装紙デザインで生計を立てていた。全国各地で個展を開いていたものの、広く知られるようになるきっかけとなった、初の作品集「にんげんだもの」の出版は還暦の時。その7年後、67歳で脳内出血により急逝する。創作者としては苦難多き道のりであった。

 相田と交流のあった書家の尾花也生さん(75)は、「相田先生は書道界の『権威』を嫌い、肩書きを持たずに創作に命を懸けられた。周りからどう思われようと、幸せな生涯だったのではないでしょうか」と話す。

 裸の人間として創作に向き合ったからこそ、これほどまでに数多の心に響くのかもしれない。

 

 

我が家の書棚にも「にんげんだもの」などが数冊並んでいる。

ブームに乗って買い揃えたもの。それっきりで手にすることもなくなっていた。

 

夫のリクエストに応えて、発声練習を兼ね声に出して記事を読んでみた。

写真が綺麗なので、ブログネタにでもしようかしらと

シワにならないように、このページを別のところに置きにいった。

食卓に戻った私に夫は別の新聞ページを差し出し

ここも読んでごらんと勧めた。

ネット掲示板発言小町」で、ベストトピ賞として選ばれた一言についての記事。



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投稿主は女性で・・・・・

・・・・・・・「きっと義母は本当に一生懸命生きてきたのでしょう。私にとって、この遺言は一生の宝物になりました」。

この

 

どうしたものか・・・急に涙が溢れ出し、これ以上朗読が続けられなくなった。

夫はしめたとばかりに笑っている。

涙を拭って先を読みすすむ。

夫の傍らにあるティッシュを受け取り鼻をかむ。

 

・・・・・・・「ごめんなさい」と涙ぐんだという。

 メールや話す言葉ではなく、手紙だからこそ、受け取った人の心を打ったともいえそうだ。亡くなった家族に宛てた手紙を募って発表している冠婚葬祭の互助組織「くらしの友」の広報担当者はこう指摘している。「手紙は、家族の絆や愛情を再確認するきっかけになります。手書きならではの温かみが良いのではないのでしょうか」

 

途中でなんども詰まりながら、どうにか最後まで読み上げた。

「君がそんなにハマるとは思わなかったよ」とは夫の弁

「お父さんを亡くしたばかりだからかな?」

自分でもよくわからないのだけれど

『いっしょうけんめいいきてください』

『しあわせはじぶんのこころがきめる』

ベタだ。

 

病床に伏した父の背中に書いてあったかもしれない。

 

それにしても、昨日『手紙』とタイトルしてブログを更新したばかり

この偶然に驚いた。